双極性障害の人生の一例part2
躁エピソードの話をする
高三になって相変わらず不登校を続けていた私は、小学生の卒業アルバムをめくっていたところ、「◯◯(私の名前)の優しさを忘れるなよ♡」と寄書きに書かれているのを見つけた。
何ヶ月も不登校で孤独になっていた私はこれだけで6年も会っていない女子に熱烈に恋に落ちた。小学校時代の同級生に連絡をとり彼女の家を聞いた。幸いにも(?)まだ近くに住んでいたので家を尋ねた。告白するつもりだった。
しかし、不在だったので家族にメールアドレスだけもらって退散した。
12月のことだった。相手もセンター試験直前なうえ彼氏もいたので迷惑千万だっただろう。しかし私はクリスマスに電話する約束をとりつけ、告白内容をノートにびっしりと書いて用意したのである。そしてクリスマス当日、彼氏がいることを知りながらも熱烈にアタック、爆散したのである。躁状態ながらも「ストーカーのようになってはいけないな」と思い、振られたらノートに思いを書き殴ったあとに潔く諦めた
次の日私は遺書を書いていた。失恋したから死ぬといった文脈だったのか、この世に絶望してうんぬんだったかは忘れたが、学習机に油性ペンでびっしり文字を書いていた。それに気づいた母親がかかりつけの精神科に連れていき、医者との問診でも私が意味不明な言動をしたのちに入院が決まった。
躁状態の話はこれだけでない。怒りっぽくもなったので両親との喧嘩で壁を殴ってたくさん穴も開けたし、高校の同期に一斉メールで遺書めいたことを書いたこともあった。躁の症状には他にも散財や性的逸脱などもあるが、金のない男子校校正であるから難を逃れた。人間関係の破壊がこの病気の特徴だが、私の躁状態は家族以外はその告白した女性しか目の当たりにしていなく、すぐ入院となったので比較的人間関係の破壊は少なくてすんだ。といっても高校中退となり同級生と疎遠になったので友達の少なさに苦労することになるのだが…
次回は精神病棟での入院の経験談と精神的に立ち直った経緯まで書ければと思う。
【part3に続く】
双極性障害の人生の一例part1
私は27歳にして通信制の大学に通っている。
このブログは大学の講義を聞きながら書いている。講義の内容をろくに理解せず形式的に単位を取ろうという考えだ。
昔は勉学に対する意識は低くなかった。小学校では同級生と遊ぶ時間を犠牲に勉強に励み、県で最難関の中高一貫校に合格した。
合格してからは「なんだかんだ自分は東京大学に行くのだろう」と考え、特に努力はしていなかった。高二、高三になってから努力すれば間に合うと思っていた。
体調がおかしくなったのは高二からだ。ある日突然学校に行けなくなり不登校になった。学校でイジメなどの嫌なことは全くなかった。強いていえば学園祭の幹部をしていて勉強が遅れていることがストレスではあった。
母親はヒステリーになっていたが父親と姉は「学校が嫌になる時期もあるだろうから放っておけばいいだろう」というスタンスだった。
しかし一向に不登校が終わることはなかった。
精神科に連れていかれ「鬱病」と診断された。
双極性障害は躁状態が観測されるまでは「鬱病」と誤診されるケースが多い。私も高三の終わりに入院するまでは鬱病といわれていた。
父親は精神病に対する理解が薄く、激しく衝突した。「鬱病なのに元気なときがあるのがおかしい」と言って怒鳴ってきたのはある意味的を得ていたが、両親との仲は最悪になっていた。
そんななか私が入院するきっかけとなる事が起きる。典型的な躁エピソードの出現である。
【part2に続く】